アスファルトはぽっと出の新人じゃなかった。
病院新築も大詰め・・・今日はアスファルトのにおいがきつい
スマイルいっぱい看護師カウンセラーのですyoukoです。
病院の新築工事が大詰めを迎えております。
毎日眺めながらみんなで気持ちよく仕事ができるようになるななどと思う反面
打ち合わせや書類作成の毎日に少々げんなりしている私。
ふと外を見ると
アスファルトの工事が始まっているΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
そうアスファルトのオイルのにおいがきつくなるので
「石油カジャー」が苦手な私は
(@_@) 鼻栓が欲しい! (゚Д゚;)
でもアスファルトは道路を走っていると必要だと強く感じているので
どうしても
嫌いなんだ~~~
と言えないのです。
嫌いなのは に お い
だけど便利だしありがたいからWikipedia検索をしてみました
歴史[ソースを編集]
天然のアスファルトは瀝青(ビチューメン)と呼ばれ、古代から使用されてきた事がわかっている。紀元前3000年頃の古代エジプトでは、ミイラの防腐剤としても使用された[1]。
天然アスファルトは主に接着剤として使われ、旧約聖書の『創世記』ではバベルの塔の建設にアスファルトの使用が記述されている[2]。アスファルトという単語が英語に現れたのは原油の利用が一般的になり始めた18世紀に至ってからである。このため、英語においてもギリシア語のασφαλτοσ(asphaltos)からの外来語であった。a(しない)とsphalt(落とす)という意味がある。
日本では縄文時代後期後半から晩期にかけて、日本海側の秋田県や山形県、新潟県などで産出した天然アスファルトを熱して石鏃(せきぞく:石の矢じり)や骨銛(こつせん:骨のモリ)など漁具の接着、縄文後期の秋田県横手市・八木遺跡の事例として網漁に用いる石錘と漁網の接着[3]、破損した土器や土偶の補修、漆器の下塗りなどに利用された。産出地のほか関東地方でもアスファルトの付着した遺物が出土し、黒曜石やヒスイなどとともに縄文時代の交易を示す史料になっている。これらは明治期に佐藤伝蔵による東京大学人類学教室の資料調査において発見され、佐藤初太郎によってアスファルトである事が確認された。藤森峯三は秋田県昭和町(現潟上市昭和)において縄文時代のアスファルト産出地を確認し、現在では原産地を特定する技術により広域に流通していたことが判明している[4]。
日本書紀には、668年に「燃ゆる土」が越の国から天智天皇に献上されたとの記録があるが、これはアスファルトであるとも言われる。
日本で初めてアスファルト舗装が施されたのは長崎県長崎市のグラバー園内の歩道であるといわれているが、成分分析が行われていないため定かではない(輸入品で舗装されたもよう)。したがって、一般的には明治11年東京神田昌平橋に舗装されたのが最初であるとされている。使用されたのは秋田県(現在の潟上市)からはるばる運ばれた天然アスファルトであった。
へえ~~といった感じで新人ではないことにびっくりしたのです。
嫌いだからで終わらせない
いろんな「苦手」や「嫌い」がありますよね
嫌いを好きにはならなくてもいいんです。
でも、理解はしたいから「調べる」ことをするのが私。
嫌いなところはあっても
視点を変えると理解できる部分も出てきます。
「好きになる」と「理解する」は違いますよね。
お客さんや、同僚で苦手な人(タイプ)
そんな人も視点を変えてみると理解できるようになります。
「いやいや、それでも・・・」
なんて言ってるあなた、「好き」になれではないんです。
相手を理解しないと程よい付き合い方も見えてきませんよ。
社会で生活していると「嫌いだから関わらない」で済まないシーンも多くあります。
その時あなたはどうしていますか?